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僕と帽子のちょっと長い付き合い薄毛と歩んだ日々

鏡を見るたび、少しずつ後退していく生え際と、薄くなってきた頭頂部。三十代を過ぎた頃から、自分の髪の変化に気づかないふりはできなくなっていました。人の視線が頭に集まっているような気がして、外出するのが少し億劫になった時期もありました。そんな僕の救世主となったのが「帽子」でした。最初に手にしたのは、ごく普通のベースボールキャップ。それを被るだけで、コンプレックスだった部分が隠れ、不思議と気持ちが楽になったのを覚えています。まるで鎧をまとったような安心感。それ以来、外出時には帽子が手放せない存在になりました。キャップだけでなく、ニット帽、ハット、ハンチングと、気づけば様々な種類の帽子がクローゼットに並んでいました。季節や服装に合わせて帽子を選ぶのは、憂鬱な気分を少しだけ紛らわしてくれる、ささやかな楽しみでもありました。ただ、心のどこかでは「隠しているだけだ」という気持ちも常にありました。帽子を脱がなければならない場面、例えば美容院や、たまにある少しフォーマルな食事の席などでは、いつもそわそわして落ち着きませんでした。帽子を取った瞬間の、あの何とも言えない気まずさ。周りは気にしていないのかもしれないけれど、自分自身が過剰に意識してしまうのです。「いつまで帽子に頼り続けるんだろう」そんなことを考える日もありました。転機が訪れたのは、四十代に入った頃。ある日、ファッション雑誌で、白髪混じりのダンディな男性が、とてもお洒落にハットを被りこなしているのを見たのです。その姿は、何かを隠しているというより、自分を表現するアイテムとして帽子を楽しんでいるように見えました。その時、ふと思ったんです。「僕も、隠すためだけじゃなく、ファッションとして帽子を楽しめばいいんじゃないか」と。それからは、帽子を選ぶ基準も少し変わりました。ただ隠せればいい、ではなく、自分のスタイルに合うか、被っていてワクワクするか。そんな視点で選ぶようになりました。もちろん、今でも薄毛が完全に気にならなくなったわけではありません。でも、帽子は僕にとって、単なる「隠す道具」から、「自分らしさを表現するアイテム」へと少しずつ変わってきています。帽子との付き合いは、これからも続いていくでしょう。でも、以前のような息苦しさは、もうありません。